令和五年七月三日のお勤めでございます。南無阿弥陀。

我が先祖代々の宗派浄土真宗本願寺派のお勤めでございます。南無阿弥陀

 

しかしながら鎌倉時代から戦国時代迄は、我が宗派は比叡山延暦寺根本中堂天台宗でございます。南無阿弥陀

 

ところが戦国乱世には下剋上する事が流行りでございます。南無阿弥陀

 

我が先祖代々も元々は鎌倉幕府から肥前国佐賀荘園領主でございます。南無阿弥陀

 

詰まりは鎌倉幕府から地頭職を拝命生活スタイルでございます。南無阿弥陀

 

ところが戦国期に突入すると家臣筋の何某弾正忠家に家事乗っ取らてしまったのでございます。南無阿弥陀

 

そして元々家臣筋が殿様殿になり我が先祖は家臣筋に突入する逆転現象が発生するのでございます。南無阿弥陀

 

またまた我が先祖の殿様殿は、我が宗派浄土真宗本願寺派と友達関係者だったのでございます。南無阿弥陀

 

そこで我が先祖は殿様殿の宗派に合わせて、天台宗から浄土真宗本願寺派に鞍替えするのでございます。南無阿弥陀

 

其の後は我が先祖は南無阿弥陀を唱える事が修業三昧生活スタイルに突入するのでございます。南無阿弥陀

 

しかしながら顕教徒も密教徒も道筋は違えども、目的地は同じなのでございます南無阿弥陀

 

詰まりは絶対空間なのでございます。南無阿弥陀

 

其れは極楽浄土に征く事でございます。南無阿弥陀

 

南無阿弥陀

 

南無阿弥陀

 

南無阿弥陀

 

南無阿弥陀