令和五年八月一日のお勤めでございます南無阿弥陀

我が宗派浄土真宗本願寺派のお勤めでございます南無阿弥陀

 

我が宗派浄土真宗本願寺派の開祖は親鸞先生でございます南無阿弥陀

 

一方で親鸞先生の師匠筋は法然先生でございます南無阿弥陀

 

どちら様も偉い御方ではございます南無阿弥陀

 

しかしながら我が国の伝統的価値観からすると師匠筋が偉いのでございます南無阿弥陀

 

そこで我が宗派浄土真宗本願寺派の開祖親鸞先生よりも、師匠筋の法然先生の方が偉いのでございます南無阿弥陀

 

我が家は元々は下野国国府に勤務している藤原秀郷でございます南無阿弥陀

 

この藤原秀郷流が数多の領地を頂き、諸国に一家一門衆が散らばる事に遭遇したのでございます南無阿弥陀

 

詰まりは絶対空間であり必至状態であり必須アイテムでございます南無阿弥陀

 

そして我が先祖は朝廷の出先機関太宰府の庁に勤務しているのでございます南無阿弥陀

 

詰まりは公務員であり絶対空間であり必須アイテムでございます南無阿弥陀

 

昼間は太宰府の庁に勤務する傍らでは、源平合戦の源氏方として合戦に参加するのでございます南無阿弥陀

 

そして源平合戦に於いて源氏方の大勝利状態に終わるのでございます南無阿弥陀

 

我が先祖は源氏系統の武士団として参加するのでございます南無阿弥陀

 

結果的には源頼朝公から、九州地区は肥前国佐賀荘園の地頭職に補任されてしまうのでございます南無南無阿弥陀

 

そして鎌倉時代から室町幕府を通じて、地頭職を拝命する生活スタイルでございます南無阿弥陀

 

そして鎌倉期から室町期を通じて、我が家の宗派は比叡山延暦寺天台宗門徒だったのでございます南無阿弥陀

 

しかしながら江戸期に突入すると何と、我が家の殿様が浄土真宗本願寺派の太守筋と仲間だったのでございます南無阿弥陀

 

そこで家臣筋も全て、殿様の信じる浄土真宗本願寺派に改修したのでございます南無阿弥陀

 

南無阿弥陀

 

南無阿弥陀

 

南無阿弥陀