我が家の宗派浄土真宗本願寺派のお勤めでございます南無阿弥陀。
南無阿弥陀・南無阿弥陀・南無阿弥陀・南無阿弥陀・南無阿弥陀・。現世利益和讃。親鸞先生ありがとうございます。南無阿弥陀。
我が家の再興は間違い無しでございます。南無阿弥陀
我が事業の再興は間違い無しでございます。南無阿弥陀。
我が先祖の殿様は鍋島弾正忠家でございます。南無阿弥陀。
元々は我が家の惣領家が肥前国の戦国大名でございます。南無阿弥陀。
我が家の一門衆が三八家存在したのでございます。南無阿弥陀。
しかしながら九州地区の薩摩国&大隅国の守護職大名が有馬氏と連合艦隊を組んで我が先祖の領地に出張って来たのでございます。南無阿弥陀。
ところが我が先祖の惣領家は食べ過ぎであり馬に乗る事が出来なかったのでございます。南無阿弥陀。
そして何と薩摩&有馬連合艦隊に討取られてしまったのでございます。南無阿弥陀。
その結果我が先祖の領地佐賀は、島津&有馬連合艦隊の草苅場にされる寸前だったのでございます。南無阿弥陀。
その草苅場にされる寸前で専ら鍋島弾正忠家の力で島津&有馬連合艦隊を佐賀から追い出したのでございます。南無阿弥陀。
その鍋島弾正忠家の力量を見抜いた豊臣秀吉の采配で肥前国は、鍋島弾正忠家🏠が国主に抜擢されたのでございます。南無阿弥陀。
我が先祖は鍋島弾正忠家の足軽大将として、家の存続を保っていたのでございます。南無阿弥陀。
また鍋島弾正忠家は、京都の浄土真宗本願寺派の門徒衆でございます。南無阿弥陀。
其処で寺請制度が開始されると、鍋島弾正忠家の家臣筋は皆々が浄土真宗本願寺派の門徒衆に改宗されられたのでございます。鍋島阿弥陀。
我が家も鎌倉時代から室町期迄は、比叡山延暦寺の檀家でございます。南無阿弥陀。
しかしながら我が家の主君筋の鍋島弾正忠が、皆々家臣筋ならば浄土真宗本願寺派に改宗するように指導したのでございます。南無阿弥陀。だから江戸期には我が家の宗派は、浄土真宗本願寺派でございます。南無阿弥陀。
其処で私自身は、生まれ変わり生まれ変わり極楽往生する為に南無阿弥陀を唱える事を修業しているのでございます。南無阿弥陀。
とにかく念仏宗は、如何に多くの弥陀の名号を唱える事が出来るかで極楽浄土が決定するのでございます。南無阿弥陀。
南無阿弥陀。
南無阿弥陀。
南無阿弥陀。
今日も南無阿弥陀を唱える事が出来たので感謝感激でございます。南無阿弥陀。