令和4年4月8日の出来事🍀

朝筋トレは8割実行しました。

朝入酸素は今からです。

朝我が家の宗派浄土真宗本願寺派のお勤めは百%実行したです

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞聖人南無阿弥陀仏

法然聖人南無阿弥陀仏

我が家の再興は間違い無しでございます。

我が事業の成功は間違い無しでございます。

源平合戦での源九朗判官義経の功績は、一の谷での奇襲戦法でございます。

平氏一門衆が、海岸通りに陣を敷いていました。

前は海岸通りであり、後ろは六甲山の断崖絶壁です。

まさか六甲山の断崖絶壁を、源氏方の武者が襲って来るとは思っていませんでした。

しかし源九朗判官義経と云う大将は、誰しも考えが及ばない事をするのが得意分野な武将でございます。

そこで源氏方の武者の中から勇猛果敢な武者を選抜しました。

そして源九朗判官義経は、武者に向かって演説するのでした。

この断崖絶壁を馬で平氏一門衆の陣に駆け落ちる予定である。

すると三浦介が発言したのでございます。

我々三浦一門衆は、毎日毎日このような断崖絶壁で狩りを楽しんいます。

このような断崖絶壁は、三浦一門衆にとっては庭同然だと強い発言をしました。

武士は受け身を嫌います。

そこで廻りに居た武者も、三浦介が云う通りだと納得したのでございます。

そして源九朗判官義経の奇襲戦法が成功したのです。

平氏一門衆の中では勇猛果敢な平繁平は、何と源氏方の武者に生け捕りにされてしまいました


そして京都に護送された後に出家したいと源九朗判官義経に伝えました。

源九朗判官義経は情け深い人物でした。

そこで源九朗義経の一存で平繁平の出家を許したのでございます。

平繁平は、出家する際の僧侶には法然聖人が良いと云ました。

法然聖人は、僧侶階級の身分を捨てた遁世僧でございます。

しかし仏教の作法をわきまえた真に立派な僧侶でした。

平繁平は、法然聖人の言葉を聴き真に穏やかな心持ちになったのでした。

法然聖人と云う人物は、真に人々を安心させる力が備わっていたのでございます。

南無阿弥陀仏