令和4年2月5日の事【1】

昨日は日を間違っていたのでございます。

自営業者としての私自身は、毎日毎日毎日が仕事でございます

そこで暦を観る必要性が薄いのでございます。 

因みに自営業歴20年でございます。

暦を観る必要性が薄いと同時に髪の毛も寂しい限りでございます。

今流行りのAGCとやらの、クリニックに通院してみたいものでございます。

鎌倉幕府を創設した源頼朝の母君は、熱田神宮の大宮司職藤原家の姫宮でございます。

詰まりは源頼朝の母君は、生え抜きの貴族階級の人でございます。

源氏系統は、武家貴族階級でございます。

ところが一方の武家貴族階級の平氏の方が、官位も官職も優位な立場に位置していたのでございます。

焦った源氏系統は、生え抜きの貴族階級に食い込む作戦に出たのでございます。

しかし生え抜きの貴族摂政関白家も次のクラス【二流貴族】の姫宮を妻にする事も武家貴族階級の源氏としては困難だったのでございます。

そこで源氏系統が目を付けた家筋が、熱田神宮宮司職を歴任していた藤原家の姫宮でございました。

熱田神宮は、皇室との繋がりも強く二流貴族階級の家筋の公卿が大宮司職を歴任していたのでございます。

元々の大宮司職は、地元の有力者尾張氏世襲していたのでございます。

そこで地元の有力者尾張氏を、大宮司職の次のクラス権宮司職に据えたのでございます。

専ら熱田神宮宮司職の職責は権宮司職の尾張氏が実行したのでございます。

一方で大宮司職は、京都に住まい時々尾張國に出張していたのでございます。

要するに大宮司職は、名誉職のようなものでございます。

あの平清盛も、太宰府の大弐職を拝命していました。

そこで太宰府の実務執行は、太宰府の地方長官職少弐職が担っていたのでございます。

太宰府の地方長官少弐職と云えば、鎌倉幕府から九州地区5カ国の守護職を拝命し且つ朝廷からも引き続き太宰府の少弐職を兼務した武家貴族でございます

一方で源頼朝は、父親源義朝の三男坊でございます。

源義朝の長男は、源悪源太義平と云う人物でございます。

源悪源太義平の母親は、その辺の女子が産んだ源義朝の子供でございます。

血筋が幅を利かせる世の中でございます。

豪胆な源悪源太義平は、最初から源氏の氏の長者にはなれなかったのでございます。

そこで父親源義朝は、長男を哀れみて太郎の字を入れ込んだのでございます。

源悪源太義平は、敵将に対して名乗る際に源太と云う事で源氏の長男と理解されるのでございます。

しかしながら席順は、源頼朝が上座であり長男の源悪源太義平は下座に座る待遇でございます

一方で源九朗判官義経の母君は当時流行りの白拍子階級の娘でございます。

白拍子は、女子が男子の格好をして舞を踊る職業人でございます。

性の転換をする事で、何とも表現する事が難しい魅力を発するのでございます。

今でゆうと、俳優業のような職業人でございます。

やはり母君が、公卿集団である源頼朝は三男坊ではございますが早々と源義朝から跡継ぎとして指名されていたのでございます。

そこで官位も官職も朝廷より頂いていたのでございます。

左衛門佐と云う官職でございます。