令和4年2月1日の事【2】

我が日本国に攻め込んで来た大陸各地を統一していた元が攻め立てて来たのでございます。

その合戦は、元寇の役でございます。

現在風に云うならば、アメリカ軍とバテレン人が我が日本国に攻め込んで来たような感覚でございます。

この日本国の国難に対して指揮した大将が、若干18歳の鎌倉幕府の執権職の相模守兼務衛門府北条時宗でございます。

北条時宗は、九州地区の武士団に大号令を発したのでございます。

当然の事でございます。

我が先祖九州地区肥前國の佐賀の地頭職も、執権職北条時宗の指示により博多湾に馳せ参じたのでございます。

また九州地区の名門武家であり九州地区の5カ国の守護職と朝廷からも太宰府の少弐職も拝命していた少弐家が、副大将に指名されたのでございます。

諸国の武家集団は、九州地区の博多湾に集結したのでございます。

各地域の武家集団は、手柄を立てようとして夜中に元の舟に小さな舟で近ずき日本刀で斬り殺したのでございます。

元の軍勢は、集団での戦法を得意分野としていたのでございます。

ところが我が國の武家は、一対一の合戦を得意分野としていたのでございます。

特に我が國の日本刀は、斬れ味が鋭く元の軍勢は狭い舟の中を逃げ回るだけでございました。

舟の中で日本國の武家集団は、敵将の首を何個討ち取る事を競っていたのでございます。

またバテレン人が、日本國を属国にする為にキリスト教布教の名目で派遣したのでございます

ところが我が日本國は、戦国時代の真っ最中でございます。

バテレン人は、自分自身の国王陛下に手紙を出したのでございます。

日本國を攻め込む事は、是非是非是非とも中止する事が必要でございます。

もしも我が國の軍隊が、日本國に攻め込んでも反対に皆殺しの憂き目に遭遇すると云っていたのでございます。

我が日本國の武士団たちは、何時も合戦には強かったのでございます。

しかし今の日本人を観ていると本当に合戦に強いのか疑問符が付くのでございます。