戦国乱世の時、生きる事で精一杯な人々が数多存在したのでございます。
その中で1人の乞食坊主が、古寺の上で星を眺めでいたのでございます。
そして傍らには、乞食坊主に騙されて寺を抜け出した者がいたのでございます。
傍らに居た乞食坊主が云ったのでございます。
貴方様は、寺一番の秀才でございました。
そこで秀才の貴方様の行く先に連れだって行けば寺から抜け出す事が出来ると信じて付いて来たのでございます。
すると今は、今日の飯にも事欠く乞食坊主ではございませんかと愚痴を云ったのでございます
乞食坊主は、同僚の乞食坊主に云ったのでございます。
我は今から美濃國に行く予定である。
そなたも、我に付き従い美濃國に行こうではないかと云ったのでございます。
美濃國に行くには、エネルギー不足ですぞ。
美濃國に行くよりも、一杯の飯を食べたいものだと云ったのでございます。
しかし美濃國に行くのは理由があるのか訪ねたのでございます
すると乞食坊主は云うのでございます。
我は美濃國に行き、美濃國の國主に成りに行くのであると云ったのでございます。
傍らに居た乞食坊主は、大笑いしたのでございます。
今食べる飯も無いのに、美濃國の國主とは秀才殿の言葉だとは思えませんと云うのでございます。
しかし寺一番の秀才殿に付き従うしか方法は有りませんと云い美濃國に行ったのでございます
美濃國は大国であり、京都にも近く街道筋が入り組んでいる重要な地域でございました。
また美濃國の守護職大名は、美濃源氏系統の土岐氏でございます。
しかしながら土岐家は、一家一門衆の相続問題に直面して合戦が続いていたのでございます。
この國に目を付けた人物が、後ほどの美濃國の戦国大名斎藤嘉門守道三でございます。
そして艱難辛苦20年後に、斎藤嘉門守道三は美濃國の守護職大名土岐家を追放してまんまと美濃國の國主に収まったのでございます。
当然の事でございます。
あの傍らに居た乞食坊主は、斎藤嘉門守道三家の家老職に就任したのでございます。
戦国武将第2番目は、斎藤美濃守道三でございます。