令和4年1月26日の事【2】

平家物語に登場する俊寛僧都と云う人物は、平家打倒の陰謀に対して自分自身の別荘地を提供した罪で九州地区の鬼カ島に流し者の憂き目に遭遇したのでございます。

この平家打倒を企てた張本人は後白河天皇陛下のお気に入りの公卿で大納言兼務院の別当職を兼ねた三流貴族の藤原成親と云う人物でございます。

藤原成親は、後白河天皇陛下のお気に入りの公卿である事で近衛府の左大将が空席状況に就任出来ると思ったのでございます

ところが勢い盛んな平清盛の長男と次男が、武官の最高職近衛府の左大将と右大将を独占したのでございます。

この武官の最高職近衛府の左大将と右大将職は、生え抜きの公卿でも誰もが就任したい官職でございます。

しかし誰もが就任出来る官職ではなかったのでございます。

特に大納言とは云え、三流貴族の藤原成親が就任出来る見通しはなかったのでございます。

その武官の最高職近衛府の左大将と右大将に、武家貴族の平家の御曹司の兄弟が揃って就任したのでございます。

藤原成親も、生え抜きの公卿の息子さんや先輩の公卿に追い越されたならば納得出来る。

しかしながら武家出身者の平家に追い越された事は、我慢する事が出来なかったのでございます。

そこで平家に不満を持つ北面の武士や貴族を、院の別当職の身分として俊寛僧都の別荘地獅子の谷に招集したのでございます

この俊寛僧都は、村上天皇陛下の子孫であり祖父は村上大納言と云う人物でございます。

俊寛僧都の祖父は、怒りっぽい性格であり自分自身の屋敷の前を行き交う人に対して齒を食いしばり怒っていたのでございます。

このような公卿でありながら、怒りぽい性格の人の孫であるから藤原成親の謀反に加担したのでございます。