令和4年1月25日の事【5】

九州地区の武家の名門は、島津家&大友家&少弐家でございます。

島津家は、鎌倉幕府将軍職源右大将頼朝の落とし種でございます。

源頼朝の妻北条政子は、源頼朝が源氏将軍職に就任したから良かったのですが罪人と駆け落ちしたのでございます。

もしも源頼朝が罪人のままならば、北条家も罪人の家筋として倒産の憂き目に遭っていたのでございます。

ところが源氏系統の源頼朝に運気が開き、何と罪人の身分から一転征夷大将軍💟まで昇進したのでございます。

源頼朝の女癖の悪さは治る事はございませんでした。

しかし源頼朝は、武家貴族階級でございます。

貴族階級は、一夫多妻制でございます。

従いまして複数人の妻が存在する事事態は正常でございます。

しかし北条政子は、坂東地区の武者の娘でございます。

東武者の風俗は、1人の夫に妻1人が普通の家族スタイルでございます。

武家階級特に地主は、武家貴族とは風俗が違うのでございます

しかし武家貴族の源頼朝の女癖の悪さは、北条政子の悪妻でも良くなる事はございませんでした。

源頼朝は、娘たちに数多の子供を妊ませたのでございます。

その中の1人が、薩摩國に預けられたのでございます。

薩摩國の大名島津家でございます。

島津家も、源頼朝と同じ源氏系統でございます。

また大友家は、相模國の有力者でございます。

源頼朝は、九州地区の武士団の力を裂くために関東地区の有力者を九州地区の守護職&地頭職に送り込んだのでございます。

一方で少弐家は、朝廷から太宰府の少弐職を拝命していたのでございます。

しかし源頼朝には、人材不足は明らかでございます。

そこで九州地区の武家貴族少弐家を5カ国の守護職に指名すると云う事で誘ったのでございます。

当然の事ではございます。

少弐家は、5カ国の守護職の指名に応じたのでございます。

しかし朝廷も、太宰府の少弐職解任に難色を示したのでございます。

そこで少弐家では、5カ国の守護職と同時に太宰府の少弐職を兼務したのでございます。