令和4年1月20日の事【3】

戦国時代に安芸の国の守護職大名は、武田家でございます。

安芸の国の武田家も、元々は甲斐源氏系統でございます。

源頼朝は、源氏系統の中でも甲斐国の源氏には心を寄せていたのでございます。

そこで源頼朝は、甲斐源氏の人々に対して数カ國の守護職に指名したのでございます。

しかしながら安芸の国の隣国には、大大名の大内家や、佐々木家&山名家のような有力守護職大名が存在したのでございます

ところが室町時代に、各地の守護職大名が京都のマン真ん中で西と東に分かれて合戦したのでございます。

俗に云う応仁の乱でございます

当然の事ではございますが、有力守護職大名大内家&佐々木家&山名家の面々は京都まで出張って行ったのでございます。

そして守護職大名の留守番には守護代と云う武将が國の政治を司ったのでございます。

そして佐々木家の守護代尼子氏は、主君が京都まで出張って頑張っているのにつけ込み國事態を乗っ取ってしまったのでございます。

ところが安芸の国の地頭職クラスの毛利元就が出没すると、大内家を討伐し尼子家も討伐してしまったのでございます。

この尼子家の家臣筋で、主君筋に対して律儀な山中鹿之助と云う武将が毛利元就の首を付け狙ったのでございます。

当然の事ではございます。

山中鹿之助の目的は、尼子家再興&復興でございます。

山中鹿之助は、今の私自身の分身みたいな存在でございます。

山中鹿之助は、三日月🌙に向かって吠えたのでございます。

願わくば我に七難八苦を与える給えと。

私自身も、我が化け猫に向かって吠えているのでございます。

化け猫の力により、我が先祖の再興&復興をお願い申し上げますと云っているのでございます