令和4年1月18日の事【2】

朝筋肉体操&トレーニングは80%は実践しました。

筋肉トレーニング&体操の内容は、3キログラムのダンベルの上下運動2百回実行する事でございます。

朝入酸素運動は80%は実践しました。

入酸素運動の内容は、10キロメートル千葉市内の散歩でございます。

朝我が先祖の宗派浄土真宗本願寺派の読経の実践でございます

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞先生バンザイ🙌でございます。

親鸞先生の先生法然上人バンザイ🙌でございます。

我が先祖の家🏠の再興&復興間違い無しでございます。

因みに我が先祖の家🏠の再興&復興には、新妻が必須アイテムでございます。

我が事業の急上昇気流に乗る事間違い無しでございます。

源頼朝が、朝廷から征夷大将軍💟の官職に指名されたのでございます。

征夷大将軍💟の任務遂行としては、朝廷に対して謀反を企てる輩の討伐が主たる業務内容でございます。

その後に源頼朝は、我が日本国66ヵ國に対して守護職と地頭職を配置する事を要求したのでございます。

守護職は、各國の警察権や徴税権を主たる業務内容としていたのでございます。

また各國には、荘園ごとに地頭職を置いたのでございます。

地頭職は、上司筋の守護職を補佐する事や寺社や生え抜きの公卿の荘園の管理人を主たる業務内容としていたのでございます

しかしながら各國には、朝廷から指名された國の機関である国司【受領】と云うれっきとした貴族が数多存在するのでございます。

各國の国司には、貴族の中でも生え抜きの貴族階級では無く5位クラスの貴族が指名されるのでございます。

ところが壱岐國と対馬國の国司には、何故か5石クラスの貴族にも人気が無いのでございます。

そこで壱岐守と対馬守には、近衛府に勤務する侍各の役人が世襲したのでございます。

その人物は、宗氏と云うれっきとした桓武平氏の流れを組む人でございます。

源頼朝が設置した守護職国司が、各地で毎回いざこざを起こしていたのでございます。

しかし守護職大名には、鎌倉幕府御家人が就任していたのでございます。

一方で国司には、下級とは云えれっきとした貴族が就任していたのでございます。

守護職大名は、れっきとした武士でございます。

一方で国司には、武士が勤務しているとは云え軍勢とは程遠い数でございます。

守護職大名に指名された武士は大大名クラスの人ではございますが暴力集団の頭でございます

国司に奉職する侍程度で、合戦して敵う相手ではありません。

本来的に國の機関である国司の業務範囲は、縮小傾向になってしまったのでございます。

しかし鎌倉幕府の勢力圏は、関東地区や九州地区など畿内以外の限定地区でございます。

やはり寺社勢力や生え抜きの貴族の勢力圏は強大でございます

寺社勢力は、僧侶自ら武装化して鎌倉幕府御家人たちと領地問題で合戦していたのでございます。

また生え抜きの貴族は、自ら武士団を雇用形態を取り鎌倉幕府御家人に対して殴り込みを仕掛けていたのでございます。

因みに我が先祖は、九州地区佐賀荘園の地頭職でございます。