令和4年1月17日の事【2】

朝入酸素運動は実行済みでございます。

30分間の歩き散歩でございます。

筋肉トレーニング&体操実行済みでございます。

3キログラムのダンベル200回実行済みでございます。

朝我が先祖の宗派浄土真宗本願寺派の読経の実行済みでございます。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞先生バンザイ🙌でございます。

また法然上人バンザイ🙌でございます。

我が先祖の再興&復興間違い無しでございます。

我が事業の急上昇気流カーブ間違い無しでございます。

あの戦国時代の安芸の国の地頭職毛利家の先祖は、貴族階級の大江氏でございます。

鎌倉幕府の構成員の源頼朝と13人の仲間たちの顔ぶれは、全て関東地区の暴力集団のボス階級でございます。

教養に乏しく朝廷の意向も理解出来ず、領地拡大の野心ばかりは旺盛な人々たちでございます

源頼朝は、軍事貴族階級でございます。

京都に屋敷を所有して、朝廷より官職を拝命しているのでございます。

朝廷の儀式も理解出来るし、貴族階級との付き合いもあるのでございます。

しかし平治ノ乱により、敗軍の将として伊豆國に流し者の憂き目に遭遇したのでございます。

ところが30歳を過ぎた頃に源頼朝の運が急上昇したのでございます。

平清盛の悪政が、生え抜きの貴族階級からの批判にさらされてしまったのでございます。

後白河天皇陛下から、平氏打倒の命令書を受け取ると北条時政の軍勢百騎馬で立ち上がったのでございます。

そして遂には平氏打倒を実現する事が出来たのでございます。

しかし征夷大将軍に指名されて鎌倉幕府を立ち上がげました。

ところが鎌倉幕府の構成員は、皆々暴力集団の親方衆ばかりでございます。

この構成員では、寺社勢力や貴族集団と対等に向き合い政治は出来無いと悟った源頼朝は、馴染みある貴族集団の面々をスカウトしたのでございます。

その源頼朝からスカウトされた貴族集団の中の1人が、大江氏でございます。

そして大江氏の一門衆の1人が安芸の国の地頭職として赴任したのでございます。

因みに安芸の国の守護職大名は甲斐国の名門武田家の1人が赴任したのでございます。

甲斐国の名門武田家は、最初から鎌倉の源頼朝に同じ源氏の系統として協力的でございます。

源頼朝は、甲斐国の武田家を高待遇で処遇したのでございます

大江氏の1人で安芸の国の地頭職としに赴任した鎌倉幕府御家人は、昔は貴族階級と云う事を忘れて武家として生き残る決意をしたのでございます。

そして大江氏から、地名毛利を名乗ったのでございます。

貴族階級の仕事は、勉強と公卿詮議と云うように会議するのが仕事でございます。

大江氏は、学問の家柄の貴族でございます。

兵法書にも精通し、学問を重視する家柄の人でございます。

そんな家筋の人であるから、毛利元就が出現して地頭職から10ヵ國の大大名に出世したのでございます。

しかし毛利元就の子孫たちは、元就の意向の通りには行かず関ヶ原の戦いでは石田三成方に味方した結果10ヵ國の大大名から2か國の普通クラスの大名に格下げの憂き目に遭遇したのでございます。