令和4年1月17日の事【1】

千葉県千葉市は、県庁所在地&百万人以上の人口を擁する都市でもございます。

私自身は、九州地区は佐賀鍋島藩足軽大将5石取りの子孫筋でございます。

九州地区の佐賀市と云うと、関東地区の皆々様は、県の位置を把握出来無い人々が続出中でございます。

しかし九州地区の私自身も、千葉県千葉市が大都市である事は把握していたのでございます。

ところが千葉県九十九里浜海岸通りは、移住するまでは知らなかったのでございます。

千葉県千葉市は、日の本では下総國に属するのでございます。

下総國の大地主は、千葉介と云う人物でございます。

一方千葉県九十九里浜海岸通り近辺は、上総國と云うのでございます。

そして上総國の大地主は、上総介と云う人物でございます。

今放映中の大河ドラマ源頼朝と13人の仲間たちが放送されているのでございます。

源頼朝は、伊豆國の小地主北条時政の娘北条政子を騙してかけ落ちしたのでございます。

北条時政は、平氏方の武士でございます。

しかし娘北条政子が、源氏の大将各源頼朝に走り込んだのでございます。

そこで覚悟を決めて、反平氏を鮮明にしたのでございます。

しかし北条時政が招集出来る軍勢は、百騎馬余りでございます

一方で平氏方の武士は、万の軍勢でございます。

北条時政は、散々に打ち負かさて源頼朝を守りながら房総半島に逃げ込んだのでございます。

その事を知った上総介は、五万騎馬の軍勢を催して源頼朝の陣に参陣したのでございます。

源頼朝の軍勢は、10騎馬余りでございます。

また合戦に打ち負かさて逃げ込んだので、鎧兜も身に付けていない有様でございます。

上総介は、源氏の氏の長者源頼朝の姿を目の当たりにして下馬する事も無く挨拶したのでございます。

すると源頼朝は、以外な行動を取ったのでございます。

何と五万騎馬の軍勢を引き連れていた上総介に対して、馳せ参じるのが遅いと叱責したのでございます。

普通ならば五万騎馬の軍勢を引き連れている上総介に対しては味方になって下さいとお願い申し上げますと云うのでございます。

ところが上総介を叱り付けた源頼朝は、主君筋であり武家の棟梁各に相応しい人物と思い源頼朝に名刺入れを差し出したのでございます。