令和4年1月2日の事2

来年度の大河ドラマは、鎌倉殿と側近13人でございます。

私自身は、来年度の大河ドラマを見たいのでございます。

しかし我が館には、テレビ📺が存在しないのでございます。

鎌倉殿&源頼朝は、父親の源義朝平清盛に力の差を感じて三流貴族の藤原信頼に騙されて謀反を起こしたのでございます。

源義朝は、保元ノ乱により父親の源為義と弟たちに反して平清盛と同じく後白河天皇陛下方に味方したのでございます。

保元ノ乱の後には、平清盛は一門衆を全て引き連れて後白河天皇陛下方に味方したのでございます。

一方源義朝は、崇徳上皇方に味方した父親源為義と弟たちを斬首にしたのでございます。

後白河天皇陛下は、平清盛の官職は3位兼大宰府大弐職と云う雲上人に指名したのでございます。

一方源義朝には、右馬守と云う馬屋の別当職と云う武家としては適任な官職ではございますが貴族と呼べ無い官職でございます。

そこで保元ノ乱が終了すると平氏優先で、源氏不利な体制が確定したのでございます。

焦った源義朝は、三流貴族の藤原信頼と云う公家に騙されて謀反を起こしたのでございます。

しかし平清盛の軍事力には勝つ事が出来ずに、昔の家臣筋長田と云う尾張国知多半島を地盤とする武士を頼って落ち延びたのでございます。

ところが長田氏は、主君筋の源義朝を風呂場で暗殺してしまったのでございます。

源義朝は、勇者ではございましたがパンツを履いていなかった為に斬り殺されてしまったのでございます。

源義朝の跡継ぎの源頼朝は、伊豆国北条時政の監視員の元で流人生活をしていたのでございます。

平清盛までは、地方の武士団の喧嘩の裁定に力を注いでいたのでございます。

しかし平清盛の息子の代になるに従い、公家化して地方の武士団の裁定する事を疎かにしてしまったのでございます。

この平氏の姿勢に不満を抱いた武士団たちは、伊豆国の流人生活をしていた武家の棟梁各源頼朝に期待したのでございます。

そして源頼朝は、関東地区の武士階級の援護の元で平清盛に対して合戦を仕掛けたのでございます。

武家の棟梁各の仕事は、地主階級である武士階級の喧嘩の裁定するのが本来的な仕事でございます。

そこで源頼朝は、鎌倉幕府を創設するに当たって京都では無く鎌倉に幕府を置いたのでございます。

そして源頼朝は、武士階級の喧嘩に対しては構成公平に対応したのでございます。

この源頼朝を補佐した重要な武士階級の13人の御家人の物語でございます。

北条&三浦介&千葉介&畠山&比企&上総&秩父&渋谷&岡崎&大江などの物語でございます。

因みに大江氏は、元々は貴族階級の家柄の人でございます。

鎌倉幕府御家人たちは、皆が農民階級であり開発領主でございます。

そこで大江氏のような有職故実に精通した貴族階級が必須アイテムでございました。

あの戦国大名毛利元就の先祖は、大江氏でございます。

大江氏の一族が、広島の1地域の地頭職として赴任したのでございます。

詰りは毛利元就の先祖は我が先祖と同じ地頭職であり地位は同じでございます。

我が先祖も、下野国国司であり四位の貴族でございます。

我が先祖は四位でございます。

一方毛利元就の先祖大江氏は6位と云う下級貴族階級でございます。

詰りは我が先祖の方が、貴族としての階級は上でございます。

しかし戦国時代には、毛利元就が10ヵ国の領主でございました

一方我が先祖の惣領家は、家臣筋に家を乗っ取られて我が先祖は倒産に追い込まれてしまったのでございます。