令和3年12月13日の出来事

朝2時に起床する。

今日は、我が館が存在する千葉県九十九里海岸通りから気分転換を兼ねて千葉県千葉市に出掛けて来ます。

朝4時に我が愛車&車中泊&旅路の友でございます、自動車を道の駅に駐車して30分間入酸素運動を済ませたのでございます。

また筋肉トレーニング&体操は我が愛車の中で、腹筋運動百回を達成したのでございます。

もし新妻が存在するならば、三島由紀夫みたいなマッチョではございませんが巷の中年男子よりは筋肉人間でございます。

また昼間筋肉トレーニング&体操&入酸素運動は、千葉県千葉市内を4時間歩き回る予定でございます。

私自身も、我が事業&我が先祖供養&筋肉トレーニング&体操&入酸素運動と割合に忙しいのでございます。

そして最終的には、武家出身者として宮(東京都)に攻め登る事が目標達成でございます。

また我が事業が上昇気流に乗る事は、必須アイテムでございます。

朝我が宗派浄土真宗本願寺派の読経を行います。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞先生バンザイ🙌でございます。

南無阿弥陀仏の御利益は間違いございません。

あの織田上総介信長を苦しめた石山本願寺門徒は、南無阿弥陀仏を唱えながら武士に向かって突進したのでございます。

昔は現在と違い、宗教団体に対して畏敬の念が強かったのでございます。

また織田上総介信長の家臣筋の中にも、我が先祖と同じように浄土真宗本願寺派門徒が数多存在したのでございます。

あの徳川家康も、三河国一向宗一揆を起こした時には、家臣筋の武将が一向宗側に味方して主君筋の徳川家康と合戦したのでございます。

あの徳川家康の懐刀の本田正信も、徳川家康を裏切り家の宗教一向宗側に味方したのでございます。

その後一向宗を鎮圧した後は本田正信は浪人生になっていたのでございます。

しかし徳川家康も、織田上総介信長や豊臣秀吉などのつわ者に対峙する為には知恵才覚優れた本田正信が必須アイテムでございました。

そこで徳川家康から、本田正信に家臣筋に復帰するようにお願い申し上げたのでございます。

本田正信としても、主君筋の徳川家康から乞われて家臣筋復帰を断る理由はなかったのでございます。

しかし本田正信は、恩賞に対しては2万石以上の大名家に就任する事は辞退したのでございます。

徳川家康は、本田正信の知恵才覚を恐れていたからでございます。

本田正信が、百万石の大名を所望したならば徳川家康は本田正信の謀反を画策して家断絶の憂き目に遭遇したのでございます

我が先祖は、惣領家が食べ過ぎによりて我が一族郎党を路頭に迷わせてしまったのでございます。

そこで我が先祖は、元々は家臣筋の鍋島弾正忠家の足軽大将5石取りの身分に成り下がる事になりました。

だから我が先祖供養の為に、黒猫🐱を飼い続けているのでございます。

八幡太郎恐ろしやでございます