令和3年12月1日の朝の出来事

1・朝の筋肉トレーニング80%が達成です事。
今日は朝から大雨警報が続出していたのでございます。
雨☔が降ると気温上昇するので筋肉トレーニングが得意でございます。


2・朝入酸素運動50%は達成でございます。
今日の入酸素運動は何をしようか何事も考えるのでございます



3・朝バナナ0%が現状分析でございます。
我が館の冷蔵庫に台湾バナナ🍌の在庫が存在しなかったのでございます。



4・朝我が宗派浄土真宗本願寺派門徒のお勤めでございます。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。
親鸞先生バンザイ🙌でございます。

因みに我が宗派は浄土真宗本願寺派でございます。
此れは江戸幕府が、キリスト教禁止🈲する為に各個人に対して何処かの宗派に属するように要請したのでございます。
我が先祖は、佐賀鍋島藩足軽大将5石取りの武士階級でございます。
そこで我が先祖は、天台宗から浄土真宗本願寺派門徒に改宗したのでございます。
鍋島弾正忠家と浄土真宗本願寺派の大谷氏とは実根の間柄でございます。



5・我が先祖の再興&復興の事
我が事業上昇気流に乗り込む事



我が先祖は、系図上では藤原氏の系統でございます。


あの平将門の討伐軍の副大将だった藤原秀郷の系統でございます。


藤原秀郷の系統が、京都の朝廷から四位に指名されたのでございます。


その一族が大宰府の役人として赴任したのでございます。



そんな時に源氏系統と平家系統の合戦が勃発したのでございます。


あの源平合戦でございます。


合戦の結末は、鎌倉に拠点を置いた源頼朝の大勝利で幕を閉じたのでございます。


平家の一族の一部は、九州地区各地に隠れ潜んだのでございます。


その中で日向国椎葉村に隠れ潜んだ平家の公達が存在したのでございます。


源頼朝は、早速に討伐軍を椎葉村に送り込んだのでございます


この討伐軍の大将に那須与一を指名したのでございます。



しかし那須与一椎葉村に陣を敷くと、平家一門衆の生活スタイルが報告書が続々と入るのでございます。



報告書には平家一門衆の人々は農業者として源氏に謀反を企てる気持ちはないと云う報告書ばかりでございます。



那須与一は、鎌倉幕府に対して平家一門衆は討伐したと嘘の報告をしたのでございます。



其れどころか那須与一は、椎葉村に住み付いてしまったのでございます。



源頼朝は、カンカンに怒り那須与一を鎌倉に呼び戻したのでございます。



しかし那須与一は、椎葉村の平家の公達の姫宮との間に子供を育んでいたのでございます。



この那須与一の子孫が、戦国時代に武将として日向国を纏め上げて島津家に協力したのでございます。


関ヶ原の戦いでは、日向国那須家と下野国那須家が対面したのでございます。