令和3年11月21日の昼間の事

1・昼間筋肉トレーニング80%です。
今日は気温も高く暮らし易いです。
筋肉トレーニングするにも楽ちんでございます。



2・昼間入酸素運動80%です
今日は気温も高く入酸素運動するにも楽ちんでございます。



3・昼間学習60%です。
やはり今日は気温が高く何事も楽ちんでございます。



4・昼間念仏復唱良し。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。
因みに我が先祖は、浄土真宗本願寺派でございます。




5・昼間我が先祖代々繁盛する事。
我が先祖の再興&復興の事。
我が事業上昇気流に乗る事。



6・何か低気圧が近くなると耳鳴りがして来るのでございます



鎌倉幕府執権職北条高時は、諸国の守護職大名や地頭職の財政難にも対策を怠り不満が爆破する寸前でございました。



しかし総大将北条高時は、政治に関心が無く自らは闘犬にのめり込み北条家執事職長崎氏に政治を丸投げしていたのでございます。



そんな時後醍醐天皇陛下が、鎌倉幕府の政治に疑問符を突き付けていたのでございます。



しかし北条家執事職長崎氏は、後醍醐天皇陛下の心配にも関心を示す事は無く自分自身の領地を増やす事に普請していたのでございます。



ところが鎌倉幕府出先機関六波羅探題に対して、夜襲&夜討ちを仕掛る武士団が数多存在したのでございます。



北条家執事職長崎氏は、足利尊氏を総大将に指名して10万騎の武士を京都に派遣したのでございます。




足利尊氏は、源氏の系統であり御家人中の御家人でございます



御家人中の御家人足利尊氏は動くならば、外様大名のほとんどが足利尊氏に従うのでございます。



執権職北条高時は、足利尊氏に対して京都の治安維持を求めたのでございます。



足利尊氏は、畏まり執権職北条高時の支持を受け給わったのでございます。



足利尊氏に従う武士団も、足利尊氏を総大将にして出陣したのでございます。



足利尊氏は、心中には北条家六波羅探題を攻め落とす気概を持ち合わせていたのでございます



鎌倉に居残る北条高時の一族郎党たちは、足利尊氏の裏切りを知ると云ったのでございます。




我々は平氏で、足利尊氏は源氏ぞと。



しかし時既に遅く、足利尊氏に従った武士団は全て源氏の系統でございました。



その後は源氏の系統新田義貞上野国から鎌倉に攻め込んだのでございます。



北条家執事職長崎氏は云ったのでございます。



あの貧乏御家人新田義貞が5万騎の軍勢を催して、鎌倉に攻め込む事が出来るはずが無いと云ったのでございます。




我が先祖も、逸早く足利尊氏の陣営に参陣して名刺入れを提出したのでございます。