真田家🏠と云うと、先祖は海野氏と云う武家の系譜でございます。
この海野氏は、足利家の家臣筋として源頼朝の陣に参陣していたのでございます。
足利家は、源氏の系統であり源頼朝も足利家を大切さ一族として厚遇したのでございます。
源頼朝は、源平合戦の際に足利一門衆を源氏の総大将に指名したのでございます。
そこで足利家の人々は、海野氏を侍大将に指名して源平合戦の指揮を取り仕切ったのでございます。
平家一門衆は、海での合戦を得意分野としていた武家集団でございます。
足利の総大将は、海に漂う平家の船に対して小舟を調達して突入する事にしたのでございます
その合戦の実務者は、侍大将である海野氏を担っていたのでございます。
足利一門衆と海野氏は、重い武装のままで小舟に何人もの武将たちが勇ましく平家の船に突入したのでございます。
ところが足利一門衆が飛び乗った小舟は、何と沈没してしまったのでございます。
足利一門衆の源氏の系統は、陸上戦は得意分野でございます。
しかし海での合戦は、不得意分野でございます。
小舟に重い鎧兜のままで飛び乗った為に、平家一門衆の船に突入する前に沈没してしまったのでございます。
この合戦を指揮した侍大将が、真田幸村の先祖に当たる海野氏でございます。
まるでトンビが鷹を産んだと云う諺が当てはまるのでございます。
真田家は、あの獰猛な武士団で有名な三河武士を、何と3度も撃ち破って捨てたのでございます。
真田家は、海野氏の傍流でございます。
海野氏の本流は、信濃国が本拠地でございます。
しかし真田家は、上野国を本拠地とする武士でございます。
上野国は、関東地区であり坂東地区の武者は獰猛であり領地争い事が絶えなかったのでございます。
真田家も、上野国に本拠地を確立した為に合戦上手な武士団に成長したのでございます。