煮ても焼いても喰えない男子の事

戦国時代に、煮ても焼いても喰えない男子の武将が存在したのでございます。


武将とは云っても、野武士であり窃盗団員の棟梁各であり人々を脅して金品を奪取する悪評高い窃盗団員でございます。



この窃盗団員の棟梁各の男子が三河国矢作川で小便を船⛵の上に飛ばしていたのでございます。



ところが船⛵の中には、駿河国の今川家を解雇されて船⛵の中で今後の事を考え抜いていた木下藤吉郎秀吉の顔の上に飛ばしていたのでございます。



木下藤吉郎秀吉は、人の顔の上に小便を飛ばしている輩は誰かと叫び声を飛ばした。



そして木下藤吉郎秀吉が顔を挙げると、百人近い野武士たちに囲まれていたのでございます。



ところが木下藤吉郎秀吉は、百人近い野武士に対して臆する事も無く文句を云ったのでございます。



この野武士集団の棟梁各の男子は、あの川並衆の頭として三河国尾張国まで名前が知れ渡っていた蜂須賀小六正勝と云う人物でございます。



あの織田上総介信長さえも、一目置く位の暴力集団でございます。



この暴力集団の頭に対して、フンドシ一枚しか身に付けていない木下藤吉郎秀吉は文句を飛ばしたのでございます。



蜂須賀小六正勝たちは、木下藤吉郎秀吉の姿を観て大笑いをしたのでございます。


蜂須賀小六正勝たちは、木下藤吉郎秀吉の性格が気に入ったのでございます。



そこで蜂須賀小六正勝たちの館に連れて行く事にしたのでございます。


木下藤吉郎秀吉は、大きな声で飯を食わせてくれと云ったのでございます。



そして木下藤吉郎秀吉は、蜂須賀党の飯を一人で全部食べてしまったのでございます。



蜂須賀小六正勝は、大胆不敵な男子だったので木下藤吉郎秀吉を気に入ったのでございます。



その後は、豊臣秀吉物語や日輪物語なとで有名な徳島藩の大大名に列した蜂須賀小六正勝でございます。



その子孫が江戸城🏯に詰めていた時に、饅頭が二つ紛失したのでございます。



そこで饅頭窃盗の犯人だと疑われたのが、蜂須賀藩の殿様だったのでございます。



蜂須賀殿の先祖は、蜂須賀小六正勝と云う窃盗団員の棟梁各の男子であったと囁きあったのでございます。



しかし蜂須賀藩は、35万石取りの大大名であり饅頭二つを窃盗する必要性は無かったのでございます。