織田上総介信長を3度裏切った男子の事

織田上総介信長を3度も裏切った武士が存在したのでございます。


その武将は、松永弾正忠久秀と云う武士でございます。



松永弾正忠久秀は、奈良県の出身者でございます。


奈良県は、藤原家の氏寺の興福寺や藤原家の氏神様が鎮座する春日大社が存在するのでございます。



この藤原家の本拠地に産まれ育った松永弾正忠久秀の先祖は、誰かと云う素性が知られていない人物でございます。



しかし奈良は、生え抜きの貴族藤原家の本拠地であり、興福寺春日大社が鎮座する地域でございます。



興福寺春日大社には、数万人単位の僧兵が存在しているのでございます。



京都の比叡山延暦寺の僧兵と共に、僧兵の数としては日本国有数の寺&神社でございます。



松永弾正忠久秀も、元々は僧兵に通じる家柄でございます。



奈良に存在する武士団たちは、興福寺春日大社に奉職するような存在でございます。



興福寺春日大社の持ち物である領地を武力行使により管理する存在が武士階級でございます



そして武士階級の檀家は、興福寺であり氏神様は春日大社でございます。



だから奈良では、武士階級よりも興福寺春日大社の方が上位な存在でございます。



松永弾正忠久秀は、興福寺春日大社の番犬的な存在が嫌で武士階級で有力候補の織田上総介信長の陣に名刺入れを提出したのでございます。



しかし織田上総介信長は、人使いが荒く松永弾正忠久秀のような実力派は合戦に引っ張りだこでございました。



松永弾正忠久秀は、織田上総介信長の暗殺計画に加担したりしたのでございます。



ところが織田上総介信長は、松永弾正忠久秀に惚れ込んでいたために何度も命を助けたのでございます。



しかし最終的には、織田上総介信長命と叫び声を挙げて爆弾💣を抱え込んで自害して果てたのでございます。



織田上総介信長は、松永弾正忠久秀の息子を大名クラスに引き揚げたのでございます。