今度は名古屋市に行く事

前回は静岡県清水区に行き、ホテルルートインに宿泊しました。


やはりホテルルートインが、何故に消費者から絶大な支持を受けている理由が判りました。



其れは騒音問題がしっかりしているからでございます。



安いホテルや古いホテルなどに宿泊すると、隣からの声やオナラやくしゃみなどのあらゆる騒音が筒抜けでございます。



ところがホテルルートインは、ビジネスホテルの分類ではございますが防音設備は万全であり建築費に金をかけている事が判りました。



私自身は、あの帝国ホテルなどの高貴なホテルには宿泊した事がございません。



やはり高貴なホテルなどは、防音設備もしっかりしているために近隣宿泊者の話し声など聴こえる事はないのでしょう。



そして今度は用事があり、名古屋駅まで行く事になりました。



東京駅から名古屋駅まで高速バスの旅路でございます。



東名ハイウェイバスの早割を使用して、何と通常価格の半額セールで行く事が可能になりました



そして名古屋駅にて、漫画喫茶快活クラブで夜中を過ごして朝からは名古屋城🏯を見学に行く予定でございます。



私自身も、12年前までは名古屋市中村区に住んでいました。



名古屋市は、何とも馴染む事が出来ませんでした。



名古屋の人間は、よそ者を受け入れてくれる事が苦手意識だと感じました。



また名古屋市には、三重県岐阜県や長野県などからの流入者が数多存在しました。



特に岐阜県からの流入者は、相当数存在したようでございます。



三重県と長野県の人々は、関西に行く人と関東に行く人に別れるようでございます。



名古屋には、九州人は皆無でございました。



だから私自身のような生粋の九州男児は、名古屋では暮らし難い土地柄でございます。



しかし名古屋城🏯だけは、大坂城に匹敵するような城でございます。



熊本城🏯が名城と云いますが、私自身は名古屋城の方が名城だと思うのでございます。



昔から云います。



尾張名古屋は、城で持つと云うのでございます。



尾張藩は、徳川御三家の中でも筆頭各であり尾張藩主だけが大納言でございます。



他の紀州藩水戸藩も、共に中納言職でございます。



また石高も並々では無く、百万石超えの大大名でございます。



しかし名古屋藩には、良い人材が皆無だったので8代将軍職も格下の紀州藩からの推薦状により越えられてしまいました。



また最後の将軍職も、水戸藩からの推薦状により抜擢されたのでございます。



結局の所は尾張名古屋藩からは、将軍職に推薦状により将軍職に抜擢された人物は皆無でございました。



そして明治維新の戦争では、徳川幕府の筆頭各の家柄でありながらいち早く薩摩藩長州藩の味方に賛同して徳川幕府を裏切ったのでございます。



しかし会津若松藩主の松平容保は、何と裏切リ者の尾張大納言家の藩主の兄弟でございます。



兄弟でも一方は、徳川幕府の筆頭各の家柄でありながら裏切り者になる。



また松平容保などは、徳川幕府の家臣筋でありながら最後まで外様大名薩摩藩長州藩に反抗心を燃やす。



この兄弟間の差は、親のDNAに関係性が存在するのでございましょうか?