幕末には、イギリスやアメリカやフランスやロシアなどが日本国に開国を迫るために軍事的な圧迫を仕掛けていました。
そんな時に薩摩藩の大名行列が、江戸から薩摩国に帰国していたのでございます。
丁度現在の神奈川県の生麦当たりを通過している時、向こうから馬に乗った外国人が此方の方に近づいて来ました。
ところが外国人は馬から降りる事も無く、薩摩藩の大名行列をやり過ごそうとしたのでございます。
すると薩摩示現流の使い手が、外国人8人を真っ二つに斬り割いてしまったのでございます。
この外国人は、イギリス人であり薩摩藩を取り締まるように江戸幕府に訴えたのでございます。
しかし江戸幕府では、薩摩藩は外様大名であり江戸幕府の管轄区域外と云ってのらりくらり作戦に終始したのでございます。
イギリス軍は、一大名である薩摩藩と合戦をして自分自身の支配下に組み入れようとしたのでございます。
この時代のイギリス軍は、世界の海を支配すると云われるように世界中で最も強い海軍力を持ち合わせていたのでございます。
イギリス軍は、最新鋭の軍艦と最新鋭の兵器を用いて薩摩湾に現われました。
イギリス軍の最高司令官は、この最新鋭の海軍力を観れば薩摩藩は直ぐにでも降伏すると考えていた。
しかし薩摩藩は、日本刀と火縄銃と云う何とも貧弱な武器でイギリス軍と互角に合戦してみせたのでございます。
薩摩藩士は、何とも奇妙な流派示現流でイギリス軍に斬り込んで行くのでございます。
イギリス軍は、最新鋭の拳銃で薩摩藩士を滅多打ちにしました。
ところが薩摩藩士は、意識は朦朧としているにも関わらずイギリス軍一人を斬り殺して倒れるのでございます。
イギリス軍の司令官は、日本国の武士と云うのは恐ろしい存在であるとは聴いていたが実際聴くのと観るのでは何倍も恐ろしい存在であるぞと云った。
また付け加えて云う。
薩摩藩と云うのは、日本国では一つの藩に過ぎないではないか?
このような恐ろしい武士団が、日本国には三百藩も存在すると聴く。
我がイギリス軍の総力戦を用いて合戦すれば、日本国の武士団を全滅させる事は不可能ではない。
しかし我がイギリス軍の犠牲も甚大である事は覚悟する必要性があるぞと云った。
そこで薩摩藩主に和議を申し込んだ。
すると薩摩藩主は云った。
我が薩摩藩は、日本国の藩の中では第1位を誇る武人の藩でございます。
あの世界一のイギリス軍は、世界の海を支配するほど強いと聴いた。
しかし我が薩摩藩士は、もっともっと合戦をやりたくて腕が鳴っていると云った。
此れも武士の痩我慢でございます。
武士と云うのは、弓矢を射こまれても自分自身から射させたのだと云う。
詰まりは弓矢を射込まれたと云うと弱々しい。
そこで自分自身から弓矢を射させてくれたと云うと、強く感じられるのでございます。
武士と云うのは、受け身を嫌う生き物でございます。
ムカデ殿に噛ませたのだと武士言葉で云いたいです。