武士の乗用車は馬🐎である事

私自身の乗用車は、あと1カ月で車検証が切れでしまいます。


そこで最後のドライブ先として、静岡県清水区に向かっています。



朝4時に我が家🏠を出発して、現在昼間2時ですが彩の国埼玉県入間市で休息中でございます。



今から夜中までは、入間市スーパー銭湯で寝たり風呂に入ったりサウナに入ったりして運動不足を解消しようと思い浮かべています。



そして夜な夜な東京都青梅市を通過して奥多摩町!山梨県小菅村を通過!そして山梨県大月市にて国道20号線を横切り山梨県都留市!富士吉田市を通過して国道1号線に突入したいと思い浮かべています。



源平合戦の時に源頼朝が、木曽義仲軍の討伐に弟の源範頼を御大将に副大将に源義経を派遣したのでございます。



源頼朝公は、2頭の名馬を所有していました。



そこで梶原景時や御大将源範頼など、今回出陣する武将が源頼朝が所有している名馬をおねだりに来たのでございます。



武士の習慣として合戦に行く前に、御大将に名馬をおねだりすると云う風俗がありました。



他人様から、おねだりされる程の名馬を所有している事が一種のスティタスでありました。



しかし源頼朝は、もしも源頼朝が攻め立てられた時に逃げ切るためには名馬は必須アイテムだと云って断りました。



名馬をおねだりした武将たちは、皆皆様が欲しい欲しいと云って残念がったのでございます。



そして源頼朝の祖父源為義の代から忠実に付き従っていた、近江国の大豪族佐々木氏の4男佐々木高綱源頼朝の元に出陣の挨拶に来たのでございます。



すると源頼朝の方から佐々木家の人々は、祖父源為義や父親の源義朝の代から源家のために奉職して来れている最も源頼朝が信頼性を持つ家臣筋である。



特に我が父親の源義朝が、平治の乱でやけくそになり無謀にも平清盛の館に夜襲を仕掛けた時に身を呈して我が父親の全面に立ち我が父親を逃がした大恩人であるぞ。



その大恩人である佐々木家のお主を、なんで軽んじる事が出来ようかと云った。



そこで源義朝が所有している名馬の一頭をお主に挙げたいと思っていると云った。



他の大将各の武将が、我が所有している名馬をおねだりに来たがお主に挙げたいと思い総て断ったぞと云った。



佐々木高綱は大大感激してしまった。



優秀な武将も、名馬に乗るか乗らないかで手柄の優劣が決まります。



御大将の名馬を頂いたからには、この佐々木高綱宇治川を第1番目に渡り切り先陣を達成いたしますと云った。



その佐々木高綱の言動を聴いていた並み並み居た御家人は良くも優勝宣言をして大丈夫であるかと囁きあった。



佐々木高綱は、現代風に云うならば、オリンピックで金メダルを宣言したようなものでございます。



私自身も、ベンツやレクサスなどの名車に乗れば、静岡県清水区には2時間で到着します。



武将にとっては、名馬はベンツ&レクサス&ランボルギーニカウンタックのような物でございます。