暑い暑い暑いの事

もう死にそうでございます。


クーラー無しムカデ殿は怖い。



夜中は熱帯夜や、真冬はマイナス8℃の未体験ゾーンまで下がる。



九州地区出身の我は、関東地区の四季折々の気温差には付いて行く事が出来ません。


いゃ思い浮かべる事8年前の事でございます。



東京都八王子市に住み付いていた頃も、真冬は雪が降り真夏は35℃まで気温が上昇気流に乗っていた事を思い浮かべた次第でございます。



源平合戦時代から江戸時代まで、日本国は武者の世の中であり兵乱の時代でございます。



あの天台座主に就任した慈円と云う高層も、平安時代に突入して武者の世の中になり兵乱の時代に突入したと書いています。



私自身の先祖も、藤原氏の一族でありましたが藤原南家の人であり官職に有り就く事が出来ない一族でございました。



そこで平将門を滅ぼした藤原秀郷と云う人物は平将門を滅ぼす武士団の募集に対して応募した一族でございます。



もし平将門を滅ぼす事が出来た時には、貴族に取立て4位の官職を与えると云う破格の条件でございました。



そして藤原秀郷は、平将門と従兄同士であり嫡流家の平正盛と組んて平将門を討ち取ったのでございます。



しかし私自身は、我が先祖の生き方には疑問符を持ち合わせているのでございます。



平将門は、関東地区の人々のために武力を背景に立ち上がったに過ぎません。



私自身が藤原秀郷ならば、平将門の味方をして関東地区の民人のために一緒に合戦して関東地区の幕府を造ります。



しかし時代は貴族の世の中であり、武士と云うのは野蛮な番犬的存在の呼称に過ぎませんでした



私自身も、欲得好きでありムカデ殿が怖いので同調圧力により朝廷軍に就いたかもしれません



あの源頼朝も、謀反を起こした時には散々に平家方に負けて小船で上総国にはうばう逃げ出したたのでございます。



その軍勢は、たったの14騎でございます。



そこに上総国の大大名の上総介が、源頼朝の陣に参陣したのでございます。



上総介の軍勢は、3万騎であり源頼朝からすれば手が出る程欲しい軍勢でございます。



しかし源頼朝は、上総介に対して着陣が遅いと云って叱り付けたのでございます。



上総介も、上総国の軍勢を動かす事が出来る凄すぎる人物でございます。


直ぐに源頼朝の器量を把握して、源頼朝に名刺を渡したのでございます。



現在も商談で名刺を渡すように、武士が名刺すと云う事は家臣筋に入ると云うアピールでございます。