行きた街ランキングで栄光の第1位は、東京都青梅市でございます。
行きたたいと云うよりは、住み付きたい街でございます。
しかし東京都青梅市にも欠点がございます。
其れは土地が狭いと云う事でございます。
私自身は、DIYで持ち家を造りムカデに攻め込まれています。
隙間だらけであり、ムカデも入り放題でございます。
またイタチなども入り込み、フライパン兼鍋をペロペロと舐め回していました。
そのイタチが舐め回したフライパンで、洗う事も無く使用します。
其れは水道管が来ていないからでございます。
今流行の安い山奥の土地を買い込んで、自分自身の手で小屋を造って住もうと云う風潮がございます。
其れも働き盛りの二十代の若者たちが存在しているのでございます。
私は、若者たちに云いたいのでございます。
若い頃は良いかもしれないが、歳を取るとアルバイターの職も無くなり無職で小屋暮らしとして生活が成り立ちませぬ。
今の私自身が、アルバイターの職を見つけて応募しても全部履歴書で不採用でございます。
そこで学歴欄に東京大学法学部卒業で、弁護士と弁理士と税理士事務所開業と書いたのでございます。
そのような輝く職種であっても、結果は不採用でございます。
応募先企業は、前園氏が経営者であるゾゾタウンでございます。
時給制であり、日払いOKの会社でございます。
次に住みたい街ランキングの2位は、北方領土でございます。
そして白人であるロシア人を妻にして、友達同士に紹介する時にはアメリカ人でございますと紹介します。
やはり外国人と云うと、日本人はアメリカ人を想像するのでございます。
私自身の若い頃には、今のように外国人は皆無でございます。
だから年に一度位のペースで外国人に遭遇する、総てアメリカ人に見えました。
金髪で目の色がカラフルならば、総てアメリカ人だと勘違いするものでございます。
そして住みたい街ランキング第三位は、やはり京都市西陣でございます。
私自身の先祖は、元々は武家であり鎌倉幕府と室町幕府を通じて肥前国の佐賀の地頭職でございます。
そこで肥前国の守護職大名である少弐氏の指示に従って、応仁の乱の時には西陣の総大将山名宗全に従いました。
当然の事でございます。
我が先祖は肥前国の地頭職であり、肥前国の守護職大名の少弐氏の被官でございます。
そこで少弐氏に従い、西陣に参加しました。
しかし本当は、東陣の総大将細川勝元と仲が良かったために本心では山名宗全の陣に参加する事は気が乗らなったのでございます。
やはり日本人の故郷は、京都でございます。
因みに我が先祖の官職は、山城守を名刺に書き込んでいたのでございます。
此れも豊臣秀吉に頼み込む事により、山城守を名刺に名乗ったくださいございます。
すると合戦上で山城守を名乗る武将が、何人もいたと云う珍事が起こりました。
本当は、守と名乗る人は国に一人でございます
其れが山城守が複数人存在する事事態が不自然なのでございます。