早くアルバイトをしたいです。
自慢ではございませんが、八年間アルバイターとして活躍する場所を与えられていないのでございます。
自営業も八年間は、依頼人0の状態でございます。
この無収入状態で食べていけてるのは、江戸時代の浪人生と同じように内職で稼げるからでございます。
江戸時代にも広島藩の福島正則を筆頭に、熊本藩の加藤清正など豊臣秀吉恩顧の大大名が倒産の憂き目に会ったのでございます。
この大大名家には、家臣団が何万人と存在したのでございます。
その家臣団が総て失業中であり、主君を求めて江戸や京都に攻め上ったのでございます。
しかし所詮は浪人生であり、雇用契約を結ぶような大名は皆無でございます。
そこで腕に自信満々な浪人生は、江戸の町で野盗や窃盗団の頭になる元武士が続出したのでございます。
一方真面目な浪人生は、商人から内職の仕事を請負いながら武芸の鍛錬をしていました。
しかし関ヶ原の戦いの後には、合戦場が無くなり武芸者を求める風俗はございませんでした。
ところが浪人生の中で一人だけ、元々の身分に返り咲いた武士がいたのでございます。
その武士は、元九州柳川藩藩主立花宗茂と云う人物でございます。
立花宗茂は、元々は豊後国の守護職大友家の家老職の子弟でございます。
大友家と云えば、鎌倉幕府の命令により相模国から九州豊後国に派遣された名門中の名門でございます。
九州には大友家や島津家や菊池家などの武家の名門の人たちが数多存在したのでございます。
因みに我が先祖は、九州肥前国の1地域の地頭職の身分でございます。
因みに系図上では、あの歌詠みで有名な西行法師の名前も系図に記載があります。
西行法師の名前は、北面の武士佐藤義清が正式名称でございます。
我が先祖の系図にも、佐藤義清(北面の武士で後に西行に改むる)と書いてあるのでございます。
北面の武士は、天皇陛下に奉職するのではなく上皇陛下に奉職する武士でございます。
上皇陛下の御所を院と呼び、院の御所で奉職するので北面の武士と云うのでございます。
佐藤家は代々、武芸に優れていたために上皇陛下からスカウトされたらしく朝廷では無く院に奉職していたのでございます。
私自身も早くアルバイトを見つけて運動療法をして血糖値を下げなければなりませぬ。
血糖値を下げるには、1に食事で2に運動に3と4が無くて5が運動でございます。
早くZOZOTOWNでの日払いのアルバイトをやりたいです。