源大夫判官義経は、源氏の総大将として木曽義仲や平家一門衆の滅亡に活躍した武将でございます。
しかし鎌倉に居座る源頼朝は、弟の源大夫判官義経の事を快くは想っていなかったのでございます。
鎌倉武士は、朝廷からの官職に指名されるためには源頼朝の推薦状が必要でございまました。
ところが源頼朝は、弟の源大夫判官義経の活躍を快くは想っていなかったのでございます。
そこで後白河法皇様は、可愛い源義経を不敏に想い左右衛門尉兼従五位下に指名したのでございます。
源義経は、この後は大夫判官と呼ばれるようになったのでございます。
そして院の御所に昇殿する事も許されました。
武家出身として後白河法皇様のお側近くで奉職する事は名誉な事でございます。
源頼朝は、兵衛介のままであり源大夫判官義経よりも官職は下でございました。
しかし後々には源頼朝は、右大臣兼近衛府の右大将に指名されました。
そして征夷大将軍にも指名されて武家政権を創設したのでございます。
また各地域に守護職と地頭職の設置を、生え抜きの貴族たちを脅して認めさせたのでございます。
京都や鎌倉の庶民は、源大夫判官義経の事を慕っていたのでございます。