甲斐国の有力武将と云えば、甲斐国武田源氏と誰しも想い浮かびます。
ところが甲斐国武田源氏は、元々の出身地は甲斐国ではなく常陸国が本拠地でございます。
先祖の源頼義と云う武将が、朝廷からの命令により東北地方の陸奥国で朝廷の命令に逆らう阿部氏を討伐するために派遣された。
この源頼義に付き従った息子たちが、源義家や源義光兄弟であった。
源義光は、陸奥国に戦争物資を調達するために常陸国に野営を敷いて地元民から食料品や刀や馬などを調達した。
そして最終的には、常陸国の武士団を統率する事に成功した。
一方父親の源頼義と息子の源義家は、阿部軍の反撃にあい戦争を有利に進める事が出来なかった。
その間常陸国に常駐していた源義光は、財力と軍事力を有利に蓄える事が出来た。
父親と兄貴が、ようやく反乱軍の阿部一族を討伐する事に成功した。
ところが源義光は、合戦が終わったにも関わらず宮に帰る事を拒否した。
源義光は、流罪地甲斐国に着任したが何と甲斐国の武士団たちを束ねて武士団の棟梁に居座ってしまった。
朝廷では、またまた源義光を日本国の果てに流罪にしようと思った。
しかし源義光の武勇が怖くて、甲斐国の国司に任命してしまった。
犯罪者から地方長官に任命された人物は、源義光が最初でございます。