太宰府の大弐

朝廷の出先機関である九州の太宰府の頭が、太宰府の大弐と云う官職があります。

この官職は、生え抜きの貴族の子弟たちが基本的に就任します。

また太宰府の大弐職は、九州に赴任する事は無く京都に在駐して政務を行います。

実際は実務者の最高責任者は、太宰府の少弐職が行います。

また太宰府の名誉職として太宰府の帥と云う官職があります。

あの天満神社の護り神となられた菅原道真公は右大臣の官職から左遷されました。

そこで右大臣の官職から太宰府の帥と云う名誉職にして、体裁の良い左遷人事でありました。


生え抜きの貴族にしてみれば、京都を離れる事は耐え難い仕打でありました。

特に九州地方や東北地方の出先機関に赴任する事は、死の宣告のような物でした。

だから菅原道真公は、自分自身を左遷した摂政関白殿下を呪い殺す事だけのために残りの人生を捧げました。


その後は摂政関白殿下は、狂い死にしました。


また京都では辻風や盗賊や火付けなど兵乱の兆しが現れました。

そこで菅原道真公を天満様と崇め奉る事により怨念を鎮めました。

そして大政大臣正一位と云う最高の官職に任命したのでごさいます。

此れらの政策により、菅原道真公は学問の神様として日本国を鎮め護り下さっています。


その後は京都での兵乱も収まり、宮にも平穏な暮らし振りが復活したのでごさいます。


太宰府の大弐職は、三位であり生え抜きの貴族の子弟は十代で就任する事が慣例となっていました。