我が国には、占い師を職務範囲とした国家公務員が存在していました。
陰陽守と云う官職があり、占い師や暦や天体観測などを職務範囲としていました。
皇族や公卿たちは、何事をするにも陰陽師に占ってもらいました。
鎌倉幕府も室町幕府でも、金沢文庫や足利学校などを造り占い師を養成していました。
全国の守護大名や地頭職などは、積極的に優秀な卒業生を採用して引く手数多の状況でした。
特に優秀な卒業生は、有力守護大名家に就職する事が出来て相当な地位や待遇で迎えられた。
あの戦国大名家毛利元就も、足利学校の卒業生を数多採用した大名だった。
毛利元就が必死の覚悟で望んだ、大大名家の尼子経久や大内義隆等との合戦でも陰陽師が大活躍した。
毛利元就は、振興勢力であり大大名家の尼子経久や大内義隆と合戦する事に家臣団は躊躇していた。
そこで陰陽師は、合戦の日付を占った。
すると占い師は、明日の合戦が吉でありますと告げた。
しかし尼子経久と大内義隆等の軍勢が、毛利元就の軍勢に攻め込んでいた。
日の丸を描いた扇子を、家臣団が観ている前でひっくり返すのが良いのでありますと忠告した。
毛利元就は、日の丸を描いた扇子をひっくり返した。
其れから毛利元就は、大演説を家臣団の前で披露した。
皆の者良く聴いてくれよ。
今日時は、扇子に描いた日の丸が出た事により明日になったぞ。
陰陽師が云う不吉な日付は過ぎ去り、大大吉である日に明けたぞと云った。
昔は占い師を信じる武将が数多存在した。
毛利元就の軍勢は、占い師が告げた日時に合戦すれば勝ち目があると想い込んた。
その後は奇跡が起きた。
尼子経久と大内義隆に挟み撃ちになっていた状況から、毛利元就の軍勢が打ち破ってしまった。
そして毛利元就は、大内家と尼子家の領地をまんまとせしめてしまった。
毛利元就は、中国八ヵ国の大大名に成長した。