竹中半兵衛重治は、戦国武将としては他の武将とは毛色の違う侍である。
いゃ他の武将と毛色の違う戦国武将がもう一人存在した。
その武将とは上杉家執政である直江兼続である。
直江兼続は、戦国乱世である中で愛を型取った鎧兜を身に付けた。
戦国時代の武将は、皆が他人が観て恐ろしくなるような鎧兜を身に付けた。
サソリや龍やムカデなど、如何にも襲って来るような物を好んだ。
其れが愛とかハートマーク❤とかを、兜の前に付けていると皆がどっと笑い出す。
しかし直江兼続の妻は、直江家より家柄が良い姫君であり家を留守にする直江兼続としては妻を愛していると云うアピールが必要だった。
一方竹中半兵衛重治は、無欲であり官職も領地も名誉も高くは望まなかった。
しかし学問好きであり、哲学や軍学や和歌などを勉強していた
竹中半兵衛重治が奉職していた殿様は、美濃のマムシと怖れられた斎藤道三だった。
斎藤道三と云う男は、人の扱いが非常に上手かった。
学問好きである竹中半兵衛重治も、獰猛と云われていた斎藤道三を好きになった。
ところが斎藤道三の家臣筋には山賊や窃盗まがいの武将が多くひ弱な竹中半兵衛重治の事を馬鹿にしていた。
在る日の事である。
すると竹中半兵衛重治の頭上から、小便が落ちて来るではないか?
竹中半兵衛重治に付き従っていた家臣が、己と云って小便をした武士を斬り殺そうとした。
しかし竹中半兵衛重治は、家臣の行動を諌めた。
無駄な殺生をするものではないぞ。
小便がかかっても、拭き取れば何でもない事ぞと云った。
小便を引っ掛けた武士たちは、竹中半兵衛重治の事を大いに笑い飛ばした。
そして五日後の事である。
竹中半兵衛重治は、家来筋二十人の手勢で難攻不落な岐阜城をまんまと手に入れてしまった。
その兵法書には、小勢でも戦略的に城を奪取する方法を会得していた。
あの勢いがある織田上総介信長も、岐阜城を攻略する事が出来ずにいた。
織田上総介信長は、竹中半兵衛重治に対して岐阜城を明け渡すようにと要請して来た。
もし明け渡すならば美濃国を与えると云う好条件を呈示した。
ところが竹中半兵衛重治は、直ぐに岐阜城を斎藤道三に返還してしまった。
竹中半兵衛重治は、自分自身に小便をかけた武将に対して学問で城🏯の一つ奪取する事など簡単である事を示したかっただけである。
竹中半兵衛重治は、戦場のアーティストで在りたかった?