一様親は武士であり、足利将軍家に奉職していた。
しかし足利将軍家は、応仁の乱以降の末期に入ると将軍自体が家臣筋に暗殺されるなど権威はがた落ちであった。
足利将軍家に奉職している家臣筋も、収入がないので子息を寺に入れたりした。
ところが才覚に優れて知恵も備え度胸もある。
斎藤道三は、寺での学問に飽きたらず世の中の実践的に役立てたいと思った。
そこで寺で知り合い第1の仲良しだった一人の男と共に、寺を黙って抜け出した。
しかし京都の街は山賊や強盗や辻斬りが流行、街の活気は無くなっていた。
たちまちに斎藤道三たちは、食事も取る事も出来ず住まいも元貴族の住まいを宿にしていた。
京都の貴族たちは、地方の有力大名家を頼り京都から脱出していた。
二人は、屋根裏に寝ていた。
斎藤道三と共に寺を抜け出した一人の男が愚痴を云った。
お主が寺を抜け出し後には、一国一城の主になるぞ?
いゃ一国一城の主が駄目でも地頭職クラスの武士にはなれると云った。
その言葉を信じてお主の誘いに乗り寺を抜け出した。
其れもお主が、妙覚寺で最高の知恵才覚の持ち主であったからだと云った。
ところが今は、乞食同然の生活スタイルだった。
しかし斎藤道三は、乞食同然の生活スタイルの中でありながら自分自身が一国一城になる国を決めていた。
その国は、美濃国である。
美濃国は、京都に近く街道筋の要衝であり経済的にも政治的にも優れた国であった。
ある大名が云った。
天下人を目指すならば、美濃国を攻め落とすべきであると?
この頃の美濃国の守護職大名は武家の名門である美濃源氏である土岐氏だった。
この親類縁者に取り入って斎藤道三は、土岐源氏の大将から気に入られてグングン出世を重ねていった。
そして遂には殿様の土岐氏一族を美濃国から追い出し、自ら美濃国の戦国大名に就任した。
あの妙覚寺の同僚であり乞食同然の生活スタイルをしていた男は、斎藤道三家の家老職に就任していた。
しかし斎藤道三家は、息子斎藤龍興と仲違いとなり斎藤道三が合戦に敗北した。
同然の事ではあるが、妙覚寺から何時も一緒たった家老職は最後の瞬間も道三と行動を共にしていた。
家老職は道三に云った。
あの妙覚寺を共に逃げ出した後貴族の屋敷で乞食をしていた時が懐かしいぞ?
もしかしたら妙覚寺を共に逃げ出した後、乞食をしていた頃が一番に幸福だったと云った。
斎藤道三も云った。
お主が妙覚寺を共に逃げ出したから、美濃国の一国一城の主にはなれなかったぞと云った。
二人は共に、敵陣に居る息子たちの手により討ち取られた。
家老職は、息子であり斎藤龍興の元での家老職である息子に討ち取られた。