平安時代末期は、末法思想が流行り世の中は乱れに乱れて兵乱が続々登場すると考えられた。
世の中の平穏を担う寺や神社も祈祷や念仏修行に力を注ぐ事も無く兵力増強に走った。
一方武士は、武家の鍛錬に励み何時合戦が勃発しても対応出来る体制を整えていた。
その後武家の棟梁各の平氏と源氏が、主導権を競い合い合戦が各地で繰り広げられた。
神社や寺も、日本全国に自分自身の領地を持ち合わせていた。
武士は自分自身の領地を拡大する手段として武力行使の手薄な神社や寺の領地を侵略しようとした。
神社や寺でも悪僧と云われる僧兵を増強しては、武士団に対抗した。
しかし悪僧と云っても、現在の悪の意味合いとは違う。
この時代の悪は、強いとか勇ましいとか良い意味合いが強かった。
しかし悪僧は、武士に劣らない武勇にも優れ勇猛果敢な合戦を繰り広げた。
でも僧兵の合戦スタイルは、個人プレイであり僧兵間の連携はなかった。
だから悪僧一人が何人かの武士を切り伏せても自分自身が疲れると次の悪僧にバトンタッチする。
そして自分自身が所属先の神社や寺に帰ってしまう。
一方武士の合戦は、一家一門衆が団結して相手方に対峙する。
また武士団は、ピラミッド型の組織形態であり大将がいて家臣筋がいる。
また家臣筋にも、家臣がいる。
そして或る家臣が何らかの不利益を被ると、武士団の長たる大将が号令を発して家臣の名誉や領地を回復する。
しかし僧兵はドライであり、自分自身の力は存分に発揮する事が出来た。
だから自分自身が戦場に居ても役には立たない。
後は次の僧兵に任せると云って戦場を離脱する。
でも武士団は、総大将の号令がなければ自分自身の判断で戦場を離脱する事は無い。