藤原成親と云う大納言がいた。
この藤原成親は、貴族ではあるが三流貴族の家柄である。
ところが後白河天皇に可愛がられて、分不相応な大納言まで昇進してしまった。
藤原成親は思った。
文官の官職である大臣は、摂政関白家の家柄か次のクラスの家柄でなければ就任出来ないぞ。
しかし文官の最高職は無理でも武官の最高職近衛府の右大将か左大将には就任出来るかもしれないぞと思った。
藤原成親は、大納言であり従2位でもある。
藤原成親は、近衛府の右大将か左大将に就任するべく運動を開始した。
その方法として、全国の神社仏閣に寄進して加持祈祷を依頼した。
また武家出身でありながら後白河天皇に可愛がられている平家打倒の会合を開いた。
この秘密の会合には、後白河天皇に奉職している北面の武士たちが多数参加していた。
また武家の中では、源氏の一族である源行綱と云う武士が参加した。
藤原成親が秘密の会合を開いた背景には、今度の人事異動で平家の御曹司である平重盛と平宗盛兄弟が左右の大将を独占すると云う噂が流れていた。
そこで藤原成親は、頼りになりそうな北面の武士や源氏の有力者源行綱たちを山荘に招待して平家打倒の秘密の会合を開いた
ところが酒の量が多くなるにつれて、声が大きくなり近隣の家に会話が筒抜けになってしまった。
京都の貴族の屋敷は、近隣間の距離が近い。
そして運か悪い事に、会合を開いた屋敷の隣が平家一門衆の一人の屋敷だった。
平家一門衆の一人は、藤原成親が平家打倒の話し合いをしている事を全部知る事になった。
次の日には平清盛に対して事柄の経緯が知れ渡る事になった。
平清盛は、早速に藤原成親と会合に参加していた北面の武士たちを逮捕してしまった。
藤原成親は大納言である。
平清盛も一様は、大納言殿を丁重に扱うように指図した。
そして丁重に扱いながらも牢獄に入れた。
そこで平清盛は、藤原成親殿を備前の国に配流にするようにと命じた。
また配流先でも大納言殿を丁重に扱うようにと命じた。