伊達政宗と云えば、伊達男の代名詞的な存在の武士である。
20代前半で東北地方を統一するような勢いがあった。
しかし織田上総介信長が天下統一する一歩手前で、家臣筋であり外様大名の明智日向守光秀により本能寺の変で斬殺される憂き目にあった。
この織田上総介信長の後を受け継ぎ、天下統一に成功者が木下藤吉郎秀吉である。
木下藤吉郎秀吉は、機内地域を中心に西日本の武士団は手中に収めた。
しかし関東地方から東北地方の北条家や伊達家などの反乱分子が威勢良く反抗的な態度を取り続けていた。
木下藤吉郎秀吉は、朝廷に依頼して討伐軍を編成して北条家と伊達家を打ち滅ぼすために出陣した。
その総勢は20万騎であり、北条家の本拠地小田原城を海上からと陸上から包囲した。
また小田原城を見渡せる山上に一夜城なる城🏯を造り出した。
小田原城に立て籠もっていた北条一門衆は、木下藤吉郎秀吉の力には対抗出来ないと悟り降伏してしまった。
伊勢新九郎盛国から5代続いた北条家も、時代の趨勢には逆らう事は出来なかった。
この北条家と同盟関係にあった伊達政宗は、家臣団を召集して今後の対策会議を開いた。
そこで伊達家の家老たちは、伊達政宗にある策を提案した。
その提案は、大将の伊達政宗が木下藤吉郎秀吉の前で切腹すると云う事柄である。
しかし単に切腹するだけでは伊達男の名前が廃れるぞ。
そこで考えたが、白装束集団で木下藤吉郎秀吉の前面で切腹するのは面白いと云った。
家老たちは驚いた。
自分たちも殿様と一緒に白装束集団で切腹するのは御免被りたいと本音では思った。
しかし大将の提案であり、無下に断る事も出来なかった。
しかし木下藤吉郎秀吉は、派手好きであり、伊達家家老全員が白装束に身を纏い切腹するパホーマンスを行えば助かるかもしれないぞと思った。
そして伊達政宗の提案は的中した。
木下藤吉郎秀吉は、伊達家の人々は面白い面白いと云っては領地も安堵した。