戦国時代

日本国は、鎌倉幕府を倒幕した足利尊氏により室町幕府が成立した。

鎌倉幕府は、京都の不穏な動きに対して足利尊氏を総大将に討伐軍を編成した。


鎌倉幕府を掌握している北条一門衆は、宮の不穏な動きに対して制圧するのは外様大名にやらせれば良いと考えていた。


しかし北条家執事職であり、実力者長崎円喜がポロっと皆の前で口に出した。

今回の宮に出した討伐軍は、皆が源氏一族であるぞ!

鎌倉に残っているのは皆が平氏であるぞ!

もしも一斉に源氏一族が裏切る事でもあれば、我々平氏一門衆は鎌倉に居て討死するかもしれないぞと不吉な事を云った。


此れは現実となり足利尊氏は、鎌倉幕府を裏切り北条一門衆を滅亡させてしまった。

そして各地の大名たちの連合体を形成して、自らが連合体の総大将として室町幕府を創設した

しかし各地の大名たちの連合体であり、足利家の立場がずば抜けて権力者ではなかった。


この結果各地の大名たちが争い遂には、京都を戦場にして西と東に陣を敷いて合戦を繰り広げた。

所謂る応仁の乱の勃発である。

現在京都の人々は、先の対戦と聞けば応仁の乱と云う答えが返って来る。

この不安定な世の中にあって応仁の乱まで勃発した。

日本国は、応仁の乱以降戦国時代に突入した。

応仁の乱以降百年間は、各地の武士団たちが合戦に明け暮れる事になる。


こんな時期にヨーロッパ🏰各地から西洋人がキリスト教の布教活動と称して日本国に来日した


しかし西洋人の真の目的は、キリスト教の布教活動ではなく日本国を植民地化する事であった


ところが西洋人が日本国に上陸すると、各地の勇猛果敢な武士団が合戦に明け暮れていたのだ


この日本国の状況下では、日本国の植民地化は無理である。


もしも日本国に攻め込んでも勝ち目はないと各国に報告していた。


戦国時代の世界中の鉄砲の数の8割が、我が日本国に存在していた🎿