やはり手に職を付けると強い

室町将軍足利尊氏は言った。武家の棟梁は、大工の棟梁と同じようなものだ。

大工の棟梁も、たくさんの職人を束ねて事柄を遂行しなければならない。

武家の棟梁も、何人もの人殺し集団の武士団を束ねて合戦に勝利する必要があった。

合戦も建築物も、差配する棟梁の器量で素晴らしい結果が出る一方で大将が凡人だと合戦に負けたり違法建築物が立ったりする。

足利尊氏は、下の意見も良く聞く事で有名だった。

足利尊氏率いる軍勢三万騎は、楠正成と新田義貞率いる朝廷軍にあっさりと負け戦を披露した。

この合戦には、比叡山延暦寺三井寺の僧兵たちも朝廷軍として参加していた。

僧兵たちは言った。何と足利尊氏率いる軍勢は弱いなぁ。

この比叡山延暦寺の僧兵たちが怖いらしく、宮から兵庫の方向に落ち延びて行ったと言って笑った。

ところが敗者である足利尊氏軍に、我も我もと付き従って行く光景を黙って見ていた武将がいた。

あの楠正成公である。楠正成公は想った。

我々は朝廷軍であり、合戦にも勝つ事が出来た。

ところが我が朝廷軍から、敗軍の将足利尊氏軍に付き従っている。

この不思議な光景を目の当たりにした楠正成公は、もはや武士たちの気持ちは天皇ではなく朝敵である足利尊氏軍にあると想った。

足利尊氏軍は、兵庫の地で酒盛りをしながら今後の軍議を開催していた。

すると九州地方から来ていた豊後国守護職である大友氏が進言した。

御大将殿に申し上げる。一時的に我が豊後国に引きさがっはどうですかと言った。

足利尊氏は言う。私も一度九州の地に行きたいものだ。

特に豊後国には、温泉♨も豊富であると聞いた。

しかし我が足利家の下野国にも上野国にも、豊後国に負けない温泉♨があると言った。

すると各地域から来ていた武士たちは、自分自身の地域の温泉自慢をした。

しかし温泉自慢がない地域の武士団は、腹癒せに温泉自慢では無く力自慢をする輩もあった。

足利尊氏軍は、皆が和気藹々な雰囲気であった。